サイト責任者のいいたい放題!!

日 付 タイトル
2008.04.13 『ドナドナ』よりもさわやかに
2006.11.05 くまさんの話
2006.06.28 世界遺産
2006.05.07 五平餅
2006.04.17 荘川桜
2006.03.19 春の女神


『ドナドナ』よりもさわやかに 2008.04.13
国土交通省も道路特定財源もない、昔のこっちゃがのう。『飛騨』ちゅう名前は、山々が連なってそびえている様子が、着物のヒダみたいに見えるとっから名づけられたと言われているぐらいで、それはそれは山深いところなんや。
狭い谷底にへばりつくように小さな集落が散在しとって、それを縫うみたいに山と谷の間の急斜面に人ひとりがやっと通れるほどの細い道が、ただ一本ついとるだけやったんやと。
その道はといえば、頭上には岩が覆いかぶさるようにはみ出し、足元はすぱっと切り立つ断崖絶壁で、そのはるか下にはゴウゴウと水音をとどろかせて白い流れが渦まいとる。馬車も荷車も道幅が狭くて通ることができん。里人が作った炭や板、街からの魚や塩なんかの生活に必要な物資はみんな、人が背負うか牛馬の背にくくり付けて運ばれていたんやと。そんな貧弱な道の中でも本当に険しく目もくらむような難所は、人間はおそごうて荷物を背負っては歩けん。馬は風に吹かれたりして危険な目に遭うとパニックになって暴れだし、しまいには人・馬・荷物もろとも谷底へ真っ逆さまなんてことも、たんとおきたそうな。そこへいくと牛は岩山に生息するカモシカと仲間やから、どんな危ない場所でも絶対に動じんらしい。だから飛騨では、牛が来る日も来る日も里と街とを荷物を背負って行き来しておったんや。重い荷物に身をうずめながら、もくもくと歩く姿は、傍で見ていても本当に切ないもんやった。
飛騨の山奥では人間に尽くしぬく牛を家族同然に心からいとおしんで、自分たちの家で一緒に暮らしていたんや。たいがい玄関を入とすぐが牛の部屋やったで、「こんちは」って家にお客に入ると、「モー」ってそこの家の牛が一等最初に出迎えてくれたもんやった。
そんな飛騨にも高速道路ができ、牛のいた部屋も子供部屋かなんかに改装されてしまって、今は想像もできんくらいや。だがのう、岐阜県人の牛を愛する心はちっとも変わらへん。『飛騨牛』が日本一いや世界一の秘密はここなんや。あの牛は岐阜県人でなけりゃあ、育てられんのや絶対に。

岐阜県内のレストランで、飛騨牛のステーキを注文して、マスターから
「お客さん、どのように焼きましょうか?」って聞かれたら、「レアで」とか「ミディアムでお願い」とかは言わないでください。
「飛騨牛に感謝して、心をこめて焼いてください」って言うのが岐阜県通なんです。
まさかねぇ。
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くまさんの話 2006.11.05
♪ ある日 街の中 くまさんに であった
  通勤通学の道 熊さんに出会った

  くまさんのいうことにゃ まちの衆 騒がないで
  シィシィシィッシー シーシーシーノシィ  
シィシィシィッシー シーシーシーノシィ

  ところが 住民が ぞろぞろ 集まってくる
  ザワザワ ザワザワと  ザワザワ ザワザワと

  まちの衆 失礼します ちょっと 探し物
  冬眠生活に 必要な 食べ物を

  あら くまさん かわいそう みんなで なかよくしましょう
  ハグハグ ハグハグハグ ハグハグ ハグハグハグ ♪

 月の輪熊が、街の中に出没し、大きな問題になっています。もともと熊は、用心深い動物で、人目に付かないように静かに生息しているのだそうです。だから奥山に行っても、よほどの偶然でもない限り野生の熊を目の当たりにするなんて、なかなかなかったことでした。
しかしここ2〜3年は、熊と人間が接触する機会が全国的に多くなっています。ある専門家は、山に熊の食料となる木の実が少ないからだと分析しています。別の野生動物学者は、過疎地域を中心に老人が多くなり、野生動物が人間を怖がらなくなってきていると指摘しています。また他の評論家は、里山が荒れ木々が被い茂ってきたため、山と人家の境界線がなくなり、野生動物が人里に現れるようになったと言っています。
 事の真相は、当事者である熊に聞かなければわかりませんが、何千年か続いていた野生動物と人間が狭い日本列島で共存するための平和な折り合いが、急に崩れ始めてきたことだけは事実のようです。
熊は丸っこい体で、人間みたいに前足を上手に使いほんとうに愛くるしい動物です。先進国・日本にはまだ、この熊が生きていけるだけの自然が保たれている。なんてすばらしいことでしょう。
朝、玄関を開けたらすぐそこに熊がいた−という経験をお持ちでない方は、『奥飛騨熊牧場』でぬいぐるみのような姿をぜひ観察してみてください。野生動物との共存の方法が見つかるかも知れません。
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世界遺産 2006.06.28
なにげない風景。だけど本当はすばらしい『世界遺産』

100以上登録されている世界遺産の中で、一番の人気はペルーにあるマチュピチュ遺跡だそうです。ウルバンバ渓谷の奥深く、標高2,200mの切り立った岩山の頂からすそ野へと幾重にも連なる石垣は、その美しさとともになんとも言えない不思議な魅力を感じずにはいられません。
マチュピチュ遺跡は、山頂付近に神殿や宮殿、居住区が築かれ、その下に段々畑が広がっていることから、以前はスペインに迫害されたインカの人々が、最後の砦として作った秘密都市だったと考えられてきました。しかし現在では、マチュピチュの規模を少し小さくした同様の遺跡が複数発見され、きっとマチュピチュは自然と人間が共生したインカ文明の理想郷を具象化したものだといわれはじめました。
さて梅雨の季節、岐阜県内のそこここに残る棚田を訪問されることをお薦めします。山の頂上へと重畳と連なる棚田は霧雨にけむり、谷底の家々も、棚田を囲んでいる木々もすべての風景が淡く溶け合い、それを観ている自分という存在までもが雨を通して一体になっていく。そんな皮膚感覚ってわかります?
じゃあ、なぜ棚田じゃなくっちゃいけないのって?棚田には、稲や蛙や昆虫や生命が溢れているんです。それがひっそりと気息をひそめている気配が、静寂の中に感じられ孤独だけれどさびしくはないそんな不思議な世界がそこにあるからです。
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五平餅 2006.05.07
昔、むか〜しの話じゃがのう。
岐阜県内の何という村かはわからんが、とにかく山深い里に、五平さという働き者の木こりがおったそうじゃ。五平さは、晴れた日はいつも斧を担いで、山に木を切りに出かけたんじゃと。ある時、五平さは竜神様が棲むといわれる湖のそばで、斧を振り下ろして木を切り倒しはじめたんじゃ。そうすると斧が・・・・。
なに!斧を湖に落としたんだろう?てっか。
五平さは、しっかり者の岐阜県人じゃ。大切な商売道具を湖に放り込むような、うかつなことはせぇへんぞ。しかも、放り込んでしまったという過失をおいといて、正直者と褒められ金と銀の斧までもらうなんて、西洋の木こりみたいな図々しいことは五平さにはぜんぜん考えられんこっちゃ。
閑話休題。
そうすると斧がだいぶ切れんようになったで、五平さは一休みついでに昼飯にしたんじゃ。五平さは持ってきた弁当のご飯を、草鞋のような形に握ると表面に味噌をまぶし、それを木の枝に刺して焚き火にかざしたんじゃ。
しばらくすると、味噌のこげる香ばしいにおいが漂い始めたんじゃと。働き者の五平さはそれを夢中で食ったんじゃが、その美味いこと美味いこと。
これが五平餅の本当の起源じゃ?

味噌、しょう油、ソースのこげる香りに、抵抗できる人類なんて存在しない。
岐阜県内、ところかわれば品変わる。各地の地味噌と産地米で作られた、詩情豊かな名物・五平餅をご賞味あれ。


☆五平餅や団子を食べられるところご紹介
関のみたらしだんご・五平餅
羽島のみそぎ団子
岐阜県観光連盟推奨観光土産品 会長賞に恵那市の五平餅
五平餅味栗毛
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荘川桜 2006.04.17
「プロジェクトY」

荘川村の二つの寺に、樹齢およそ450年、幹囲6mを超える桜の巨樹が2本そびえていた。
村人は何代にもわたって、その巨樹を大切に守りぬいてきた。
村にダム計画が持ち上がった。2本の桜が湖底に沈む。
その時、一人の男が巨木を移植するという、途方もない計画を実現しようと立ち上がった。
昭和35年、巨樹を愛する人々の努力によって、2本の桜は600m離れた高台へと移された。世界の植樹史上に残る巨樹の移植である。
春になっても、2本の桜から新芽は出てこなかった。
多くの人たちは、巨樹は枯死したと考えはじめた。村は沈痛な思いにつつまれた。
そして奇跡が起きた。2本の桜から若芽が伸びはじめたのである。
2本の巨樹は『荘川桜』と命名され、今も御母衣ダムの湖面に勇姿を映している。そしてゴールデンウイークごろには、その身をピンクに染める。
物語はこれで終わらない。
この『荘川桜』を、名古屋と金沢を結ぶ国鉄バスの車窓から見つづけていた一人の車掌さんがいた。
その男は、太平洋と日本海を桜の花のトンネルでつなごうという壮大な夢を抱いた。
5万本の桜並木をつくるため、来る日も来る日も、桜の苗を沿道に植えつづけ、47歳の若さで亡くなった。
家族や同僚が、その夢を継ぎ立ち上がった。

なぜこれが、『プロジェクトY』なのかって。桜を愛で、桜をはぐくむプロジェクトを次に継ぐのは、あなた(you)だからです。


〜 生前にその車掌さんが語った言葉 〜

「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつになって人々が仲良く暮らせるようになりたい。 」

飛騨荘川観光協会ホームページ
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春の女神 2006.03.19
今年も、ギフチョウの季節がやって来ました。早春の里山で、カタクリの花に舞うその姿は、美しくて、いじらしくて、はかなくて、『春の女神』そのものです。  
ギフチョウは1833年、名和靖氏によって岐阜県の県央地域で発見されました。もちろんアメリカ大陸が、コロンブスによって発見される以前からちゃんと存在していたように、ギフチョウも昆虫学者によって発見され、ラテン語で日本の意味のjaponicaという学名が付けられたことなどにはおかまいなく、黒と黄色の縞模様を陽光に輝かせながら春を謳歌し続けていたのです。
そんなギフチョウも、今では絶滅危惧種に指定されています。それはギフチョウが、日のよく当たる里山にしか生息できないのです。そしてその里山は、開発と放置という両面から攻められ、全国的に激減しているからなのです。
岐阜で発見され、岐阜の名前が付き、学名は日本の意味のチョウが見られなくなる?そんな心配はご無用です。岐阜県には、自然との共生の術を、親から子へそして孫へと伝え続けている人たちが大勢います。だから、ギフチョウは岐阜で永遠に生き続けます。そして、岐阜の『癒し』は本物です。キッパリ。 

名和昆虫博物館(1) 
名和昆虫博物館(2) 
ギフチョウ 
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